会社を起こす原点なのかも 高専時代


一流の技術者を目指して工業高専に進み、技術者として会社に就職したけどねえ。。。まあ、その会社が次第に将来的な希望を見いだせないような会社へと変わっていってしまった。そこにいても自分の技術力も活かせないし、そこで腐ながら一生を終える訳にもいかないと思って、サラリーマン生活にピリオドを打ち、自分で小さな小さな会社を作った。

その会社は技術会社としてスタートしたんだけど、今は、翻訳会社として結構知られるようになった。 これが、翻訳会社ソリュテックである。 登記簿謄本の翻訳(登記簿翻訳)の分野ではトップランナーだ。 なぜ翻訳会社ソリュテックが登記簿謄本の分野でトップランナーになれたかという点について、それも、私の高専時代の経験が多分に影響しているように思える。

登記簿謄本というのはレイアウトが面倒で、私が、これを何とか簡単にできないものかとコツコツ自動処理のプログラムを作っていったのが始まり。 ここのポイントは 「自分で作る」 ということ。 高専時代に工具まで自分で作る精神を身につけているから、現在のツールであるソフトウエアを自分で作るのは常識の範囲内。 それで、自分で作ると何が良いかというと、改善が容易である点に尽きる。 登記簿謄本も様々なパターンがあるし、法令が変わったりすると登記簿謄本のレイアウトや中身まで変わることがある。 だから、最初からその全てに対応できるような完璧なものを作るというのはナンセンスな話で、実際に走らせながら新しいパターンに出くわしたら、その時に新しいパターンにも対応できるように進化させるというやり方の方が適している。 世の中広しと言えども、登記簿謄本の翻訳でこのようなことを行っているのは私だけ。

で、私が作ったソフトウエア、即ち、翻訳会社ソリュテックのソフトウエア、を使うと、登記簿謄本のレイアウトが自動的に加工され、また、繰り返し使われるような文言については自動的に翻訳される。 だから、速くて正確に登記簿謄本の翻訳が行えるというわけだ。 人手が省ける分、製造コストも安くなるから、他の翻訳会社に比べて価格競争力が高い。 と、いうわけで、登記簿謄本の翻訳は、速い、安い、うまい(正確できれい)の三拍子揃った翻訳会社ソリュテックがダントツにリードすることになったのだ。


と、書くと、翻訳会社ソリュテックは順調そうに思うかもしれないが、問題が無いわけではない。 その翻訳会社は高級ブランド化し、また、システムも完成しているので、あまり下手にいじれない。 しかし、それで歩みを止めてしまっては将来が危うい。 過去、平成大不況の際に効率が悪い老舗の翻訳会社が危機的な状況となり、反面、インターネットを使いこなす新興勢力が台頭したことを見ても、古いやりかたにとらわれず、新たな翻訳サービスや翻訳方法の試みを行っていくことが大切なことは明白だ。

ということで、今までの翻訳会社とは別に、新たにチャレンジ用の翻訳会社を作った。 それが、サービス会社という目線でサービスに重点を置いた翻訳会社の 翻訳サービス合同会社である。 これに併せて自社ブログもスタートした。 自社ブログとはアメブロのような既存のブログサービスを使わず、ブログシステムのソフトウエアを自社のサーバーで走らせるものである。 そのメリットについては 翻訳サービス合同会社のブログ の最初の記事に書いてある。


まあ、何れにしても、なんで技術会社じゃなくて翻訳会社として成長することになったのか?っていう不思議はあるんだけどね。 ここでは不問ということにして、ここでは、高専時代に受けた影響が独自の道を行かせたというか、高専時代に起業家精神(アントレプレナー)の芽が植え付けられたいうことについて書こうと思う。


最大要素は変わり者の集団の中で埋め込まれた時限爆弾?

工業高専には普通の高校じゃ満足できない技術オタクが入学する訳だ。そんなヤツがいっぱいいたらどういうことになる?そう、変なパワーが増幅するのさ。オリジナリティー満点の変やヤツだらけだったね。そいつらの多くは、卒業後、会社のありがたい社員教育なんかで表面上はマトモな人間に更正される。でも、それは一時的なことであって、次第にマトモでいることに満足できなくなるんだ。変わり者の部分が自己主張を始めるというかね。


希望・忍耐・成長

これは、高専時代に叩き込まれたフレーズね。このサイクル、会社の軌道と同じなんですよ。最初は希望を持って会社を作る。しかし最初っから経営がうまく行くなんてのは極まれで、創業後1年で1/3ぐらいの会社が廃業し、それを生き残った会社も創業後2、3年は超低空飛行で社長は青息吐息。ちなみに、これには名前がついてて「死の谷」(death valley)って言うんだね。そして創業後10年も経つと7〜8割くらいの会社は消えてなくなっちゃう。いかに出来たての小さな会社がサバイバルするのが難しいかってことだ。まあ、自然界よりはマシってことだろうけどね。で、そうやって忍耐に耐えれた会社が、会社の基礎となる顧客や取引先、社会的な信用、スキル、商品などを得て、成長できるという訳だね。


友人の影響でコンピュータに目覚める

元祖天才バカボンに「レレレのおじさん」というのがいて、バカボンのパパが通ると「おでかけですかレレレのレ」と発するユニークな存在だ。掃除しかしていないにも関わらず印象に残るインパクトを与えるのは凄い。

高専時代、似たキャラの友人がいたが、彼は実は非常に優秀な頭脳を持っていた。今は一流企業の技術者として働いている。

今はパソコンはあまりに一般的であるが、僕が高専に通っていた時代は、パソコン非常に高価で、まだまだ普及していなかった。そんな中で、彼は独自のパソコンを設計して作っていたのだ。 彼の名前が小塚というので、そのコンピュータを周囲の友人はコヅカのコンピュータをひねって「クズコン」と呼んでいた。

僕は無線技術者になることを目指して高専に入学したので、パソコンのようなデジタル系には当初興味が無かったのだが、先の小塚君をはじめ、様々なパソコン好きの仲間の影響を受けて、次第にパソコンの世界にハマっていった。

当時は研究室にトグルスイッチで2進数を設定しておいて、記憶ボタンを押してその2進数をワンステップとしてコンピュータに記憶させると言った、今から考えると超原始的なコンピュータにも触れたが、さすがに、これでプログラムを組み気にはなれなかった。 中には、80系のCPUとちょっとしたLED表示器がついた「TK-80」という安価なコンピュータを購入する者もいた。 だが、最も流行したのは 「アップルU」である。 と言っても本物のアップルUは高すぎて手が出せない。 そこで、秋葉原でアップルUのマザーボードのクローン(コンパチ)を買ってきて部品を取り付けて組み立てるということを多くの学生がやっていた。

私も貧乏学生で、高価なパソコンを完成品で買えるだけの資金的余裕も無かったので、クローン(コンパチ)基板を買ってきて組み立てた。筐体はダンボール箱を加工し、キーボードもムキダシのままダンボール箱に乗っけて使っていた。ディスプレーには普通のテレビを使っていた。秋月でテレビ用のチューナーを購入して改造し、テレビ用のアナログ信号を作っていた。当時アップルUの定価が40万円程度だったが、それと同じ機能を持ったマシンを7万円程度で完成させたのだ。もっとも、貧乏人であった私にとって、それでも高価であったことには違いなかった。

アップルUのCPUは6502だったが、このCPUについては徹底的に理解した。当時、機械コードでプログラムが書けるほどだった。高速処理が求められるモールス信号発生器なども作成した。今だったらマシンそのものが速いからプログラムで苦労することは無いが、昔は、マシンが遅かったので、時間が重要なファクターになるプログラムは作るのが難しかったのが。6502というCPUはシンプルで使いやすかった。80系は正直言って覚える気にならなかった。

当時は ASCII という雑誌がかなりマニアックで、様々なソースコードが公開されていた。今だったら、ソフトはネットでダウンロードするのが相場だろうが、当時はまだインターネットそのものが全く普及していなかったので、ソフトを入手するのも一苦労だったのだ。信じられないだろうが、雑誌に「00 09 FF・・・」というようなマシンコードが羅列してあって、それを手作業でコンピュータに入力したりしていたのだ。様々なゲームや TL/1 などのプログラム言語などで楽しませてもらった。(これを呼んでピンと来る人は多分現在40代前半)


企業研修

夏休みを利用して、日本電気アイシーマイコンシステム株式会社(現在のNECマイクロシステム株式会社のもととなる会社)に研修に通った。 そこで実験を行い報告書を作成する訳だが、どう考えても、学生の実験や報告書は会社側の儲けにはつながらない。 色々教えていただいた上に、ちょっとした手当まで出て嬉しかった。 会社側としては、リクルート活動の一環としての費用負担ということなのだろうが、太っ腹である。 この会社、社長がふらりとやってきて、突然社員に技術的な質問をする。 抜き打ち試験みたいな感じだったが、優秀な社員はちゃんと質問に答えていた。 ご立派! いやー、本当、良い会社だったんだけど、あまりに LSI が気の遠くなるような細かな設計であるため、自分には向かないと悟り、そこの会社へは就職しなかった。 ただし、NECの分身会社に就職し、NECに逆出向した事を考えると、ここら辺からNECとのつきあいが始まっていたとも言える。


(続きはまた)



高専というシステムについて

中学時代



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